推しが人間になった。

自担が結婚した。
いわゆるお気持ち表明になるのも嫌で迷ったが、長年ジャニオタをしていて、初めての自担の結婚という大きな出来事なので、書き残しておきたいと思い、書くことにした。

当日、友人から「FCのお知らせ見て!」と連絡がきた。FCサイトを開くと、「神山智洋」の文字があり、血の気が引いた。脱退はない、結婚…?と思って内容を見ると、結婚報告だった。その瞬間は安堵した。神ちゃんがアイドルをやめるわけじゃない。

神ちゃんの結婚は嬉しい。素直にそう思えた。
飼い犬である王子くんが虹の橋を渡った時も、神ちゃんの目が強い光に弱くなってサングラスが必要になった時も、「神ちゃんを支えてくれる人がいたらいいな」と思っていた。
だから、結婚報告を見たとき、ちゃんと支えてくれる人がいてくれてよかったと心から思った。
それでも、時間が経つと、どうしようもなく泣けてしまった。
恋ではない。ただ“アイドル”としての神ちゃんがどうしようもなく好きだった。

常に完全無欠のアイドルでいてくれる神ちゃんの幸せを心から願っていた。
最高のパフォーマンスをするために努力を怠らず、自分のため以上にグループやファンのために音楽を作り、ファンが喜ぶ言動をしてくれる神ちゃんは、私にとって完璧なアイドルだった。非の打ち所がないほどに、痛々しいほどにまっすぐにアイドルだった。
完璧なアイドルとして生きてくれる神ちゃんの夢や願いが全部叶って欲しかったし、神ちゃんが自分の人生を自分で決断することが出来て本当に嬉しい。

それでも胸の奥が少し痛いのは、きっと私が、神山智洋という人を“アイドルという生き物”だと信じすぎていたせいだと思う。神ちゃんは人間だ。そんな当たり前を忘れてしまうほど、神ちゃんは“完璧なアイドル”だった。
32歳という結婚適齢期に、結婚という決断をする。それはとても自然で、当たり前のことだと思う。理解はできるし、お祝いしたい気持ちでいっぱいなのに、ふとした瞬間涙が出るのは、私が神ちゃんの見せてくれた夢の中で生きていたからだと思う。
アイドル神山智洋という存在に、現実を超えた何かを見ていたからだ。

結婚しても、アイドルはアイドルであることに変わりはない。
でも、このタイミングでの結婚が神ちゃん自身にも、WEST.の活動にも影響を与えることを神ちゃん自身が一番分かっていると思う。
それでも結婚を選んだのは、“人間神山智洋”の生き方を譲れなかったんだろうなとぼんやり思う。
アイドルはアラフォーじゃないと結婚してはいけないとは思わないし、神ちゃんに一生独身でいて欲しいとも思わない。
でも、完璧なアイドルだった神ちゃんが結婚適齢期の今結婚するということが、あまりにも人間らしすぎて、アイドル神山智洋が見せてくれていた夢から覚めてしまった気持ちになってしまったのかもしれない。
アイドルとしても神ちゃんは何も変わってない。
でも、結婚という事実の生々しさは、アイドルという偶像とかけ離れていて、まだ心が追いつかない。
神ちゃんはステージから降りたわけではないのに、ずっと見上げていた“神様”が急に目の前でご飯を食べ始めたような気持ちになってしまう。あ、神様もご飯食べるんだ、とびっくりしてしまうような感覚。

その瞬間、ふと気づいてしまった。
神ちゃんは「アイドルという生き物」ではなく、「アイドルという職業」なんだ、と。
そんな当たり前のことに気づいて、勝手にショックを受けている。

子供の頃から大好きだったバンドマンが結婚した時はこんな気持ちにはならなかった。なんだったら、神ちゃんに対してはないが、そのバンドマンに対してはリアコですらあった。でも、そのバンドマンが結婚してからも私はライブに通い、楽曲に泣き、彼が家庭を持ったことで、さらに音楽が優しくなったような気持ちになった。

アイドルとアーティストの違いは、きっと“生き様を売り物にしているかどうか”なんだと思う。
アイドルはパフォーマンスだけではなく、生き様で人を惹きつけ、アーティストは作品で生き様を語る。
特にジャニーズは、アイドルとしての明確な寿命がなく、遡ろうと思えば子供の頃からその人の生き様を追うことが出来る。
神ちゃんは、その生き様の美しさで人を惹きつける人だった。
私はアイドル神山智洋の生き様が好きだったんだと気づいた。
眩しすぎるほどにまっすぐに生きる神ちゃんは美しかった。今回の決断もまっすぐな神ちゃんらしさに溢れていた。
結婚発表が丁寧な最小限の言葉で、ただ事実を伝えるだけだったことも、神ちゃんらしいと思った。余計な飾りも演出もなく、誠実で、まっすぐな言葉だった。
そういうところが、ずっと好きだった。


大きな舞台で、高らかに熱く語り、ブログやステージで、ファンの欲しい言葉をくれる神ちゃんが大好きだった。
神ちゃんだからこそ言える言葉がたくさんあった。
でもこれから、同じ言葉を神ちゃんが口にしたとき、私はそれを以前と同じ熱量で受け取れるのだろうか。
アイドル神山智洋ではなく、人間神山智洋の言葉を、まっすぐに受け取れるのだろうか。人間神山智洋の生き様を以前のような熱量で愛せるのだろうか。

そう考えてしまうことが、悲しくて、悔しくて、何より、自分が情けない。
神ちゃんは何も変わらない。きっとステージの上では完璧なアイドルでいてくれる。
それなのに、私は神ちゃんにそれ以上の何かを求めようとしているのだろうか。
そんな傲慢なことが許されるわけない。
だって、神ちゃんは21年間ずっとアイドルに人生を捧げてくれていたはずだ。
そんな人に、これ以上何かを求めるなんてことしちゃいけない。
それなのに、涙が出てしまう自分が不甲斐ない。


もし神ちゃんがアラフォーになってから結婚していたら、こんなに悲しくなかったのだろうか。
もし嵐やエイトのように確固たる地位を築いていたら、こんなに悔しくならなかったのだろうか。
嵐やエイトのようにアイドルグループとしての最高到達点に達していたら、こんなに不安にならなかったのだろうか。

サシタビで「5大ドームをやりたい」と言ってくれた神ちゃんの言葉はかっこよかった。
WESSIONの後のブログで「皆さんの支えが僕たちには必要です!」と言ってくれたのが嬉しかった。
CDTV大感謝祭のファン投票で『歌詞が刺さる曲ベスト』に『あなたへ』が選ばれた時、神ちゃんがブログで「すべてが報われたという感覚があって」と言ってくれたのを見て、神ちゃんの力になれたことを実感できて泣くほど嬉しくなった。
見返りなんて求めていないし、こっちの応援が報われたいとも思ってない。
それでも、応援して良かったと思わせてくれるのが神ちゃんだった。
神ちゃんの言動は、私にとっては“正しさ”と“優しさ”と“愛情”そのものだった。

だからこそ、この結婚という決断も間違っているわけがない。
神ちゃんの人生に必要な、大切な選択だったと思う。
けれど同時に、どうしても考えてしまう。
この決断が、WEST.の活動や、ファン、そして神ちゃんや7人の叶えたい夢にどう影響するのか。
それを踏まえた上での決断だったと思うと、神ちゃんのアイドルとしての矜持ってなんだろう、と考えてしまう自分もいる。

神ちゃんはこれからも、きっと多くの人を魅了するパフォーマンスをし続けるだろう。すべてに磨きをかけ、より深みを増す人だと思う。
でも同時に思ってしまう。
ドームという広い会場で、何万人もの人を長年熱狂させ続けられるアイドルは、
“アイドルにすべてを捧げてきた人たち”なんじゃないかと。
顔が見えなくても、距離が遠くても、それでも夢中にさせる存在であることが、ドームに立つアイドルの到達点だと思っている。
結婚した神ちゃんが、今のWEST.が、そのステージに立ったとき、私はまたあの頃のように熱狂できるんだろうか。
自分でもまだ答えを見つけられていない。


それでも私は、神ちゃんがアイドルである前に、ひとりの人間として愛され、人として幸せであることを願っている。
そしてその幸せの中で、これからもステージに立ち続けてくれることを、心から願っている。これも全部きれいごとなのかもしれない。でも、そう思いたくなるほど、私は確かに神ちゃんに、WEST.に、救われていたのだ。
自分ではどうしようもないことで深く傷つき、もうエンターテインメントを見るのをやめようと、全てのエンターテイメントを拒絶していた時に、手を差し伸べてくれたのはWEST.だった。子供の頃から音楽が、エンターテインメントが好きだった私が、それらを全部捨てようと思ったのに、今もまだそれらを抱き締めていられるのは、他でもないWEST.のおかげなのだ。WEST.がいなければ、私は今もまだエンターテイメントを受け付けないままでいたかもしれない。今、私がエンターテインメントを愛せているのはあの時WEST.が救ってくれたからだ。
WEST.の音楽は、そういう力がある。もっとたくさんの人に届くと信じていた。そうあって欲しいと強く願っていた。

 

でも、今はまだWEST.の音楽を聞くことが出来ない。
WEST.の音楽が生活の一部になっていたから、心にぽっかり穴があいたような気持ちになる。
カウントダウンライブも申し込みはしたが、当たってもいないのに、今から行くのが怖い気持ちが大きい。
久留米のブレイキン世界選手権も行くのが怖いが、神ちゃんの初ソロの晴れ舞台を見られない自分は解釈違いなので、きっと行くんだと思う。そのパフォーマンスが刺さっても、刺さらなくても、泣きながら、飛行機で久留米からとんぼ返りするんだと思う。

アイドルのファンというか、私というオタクは、なんて傲慢で、ワガママで、自分勝手で、気持ち悪くて、めんどくさい生き物なんだろうと思う。傍から見ると滑稽な一人相撲なのかもしれない。それでも、世界で一番幸せだと思えるほど幸福にしてもらった記憶があるから、チケットを握り締めて、唯一無二の自担を追いかけて、また現場にいってしまうんだろう。
私はまた、熱狂できるのだろうか。